ロシアの軍事用語のカタカナ表記、アブトマット?、アフトマート?、アフタマート?

 このブログではロシアの軍事用語(ばかりとは限らない)のカタカナ表記について述べます。

おかしなロシア語表記が権威を持っている

 銃器マニア界隈ではロシアの銃関係の言葉がカタカナで表記されることがありますがロシア語を習った者としては「こうじゃないよね」という感じがするものを多く目にします。違和感があるものでよく目にする例を英語式(アメリカ式)のローマ字転写も付けて挙げておきます。 
① アブトマット・カラシニコバ:автомат Калашникова/avtomat Kalashnikova
② フェドロフ自動小銃、アブトマット・フェドロバ:автомат Фёдорова/ avtomat Fedorova
③ デグチャレフ:Дегтярёв/ Degtyarev
④ プレメット:пулемёт/pulemet、機関銃をロシア語で読むとこうなるそうです。

 最近でこそ、ロシアのAKを「アフタマート」とロシア語の発音に近いカタカナ表記で書く人が出てきましたが、銃器マニアでは「アブトマット」の方が主流です。なぜこのような表記になるかといえば、権威ある銃器関係のライターが英語式のローマ字転写をそのままカタカナにしているからなのは明らかです*1。これがさらに進行するとローマ字の読み方まで英語式になることがあります。PPSh短機関銃の設計者のShpaginを「シュパジン」と書いてあるのを見たことがあります*2。「ネスレ/Nesslé」が昔、英語式の「ネッスル」だったのと同じですね。英語が途中に入ると変なことが起きます

 銃器以外の分野ではロシア語から直接日本語にしますからそれほど変なことは起こりません。ソ連の最初で最後の大統領であるГорбачёв/Gorbachevはゴーバチェフにならずゴルバチョフになっています*3
 では、ロシア語が分かる人にカタカナで書いてもらえばおかしな表記にならずに済むのでしょうか。それがそうでもありません。

ロシア語が分かる人でも表記はバラバラ

 ロシア語のカタカナ表記の揺れの例を挙げてみましょう。エカテリーナ二世は「女帝エカテリーナ」という少女漫画にもなっているので「エカテリーナ」という表記で定着していますが、世界史の参考書などでは「原語により忠実な」「エカチェリーナ」、「イェチェリーナ」という表記もあります。ロシア語に詳しい人が独自にいろいろな表記をしているわけです。銃器関係ではどうでしょうか
 Wikipediaの記事ではロシア語が分かる人が執筆陣に加わっているとロシア語を発音に近くなるように工夫してカタカナで表記することがあります。でもその表記ぶりはカオスです。

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Wikipediaの「AK-47」の記事のプリントスクリーン
カタカナ表記が同じ記事でバラバラ

 Wikipediaの「AK-47」の記事では1行目は銃器ジャーナリスト式の「アブトマットカラシニコバ」ですが、ずっとスクロールして「AKM」の項に行くと「アフトマート・カラーシュニコヴァ」になります。

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日本語版Wikipediaの「PK」の記事のプリントスクリーン

 PK(機関銃)の記事でКалашников/ Kalashnikovの生格(所有格)Калашникова/ Kalashnikovaの表記を見てみます。ご覧のとおり「カラーヴァ」になっています。AKMでの「カラーシュヴァ」と微妙に違います。主格にすれば「カラーシュフ」と「カラーフ」ですね。両方ともあり得る表記ですが好みというか方針の違いが出ています*4。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という現象が生じています。
 автомат/ avtomatはどうでしょう。AK-47の一行目の「アブトマット」は英語読みだから論外として、AK-47の記事のAKMの説明では「アフトマート」でした。ここでWikipediaの「アサルトライフル」という記事を見てみましょう。

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Wikipediaの「アサルト・ライフル」の記事のプリントスクリーン
ロシア語が分かり軍事にも詳しいという稀有の人材の記述。脱帽です。頑張ってください。

 この「アサルトライフル」の記事をスクロールしていくと「アフマート」の項目が出てきます。「アフマート」ではありませんね。

 脱線しますがこの部分を書いた人はロシア語の一次資料(国家間規格、GOST等)を始め、多くのロシア語の資料に当たって正確に訳しています。この人が書いていることは信頼できます。僕が投稿した「ソ連・ロシアにおける兵器の分類、小火器」でもGOSTを引用していますが、僕の場合はめんどくさくて飛ばし飛ばし訳しています。僕の記事の自動小銃の部分よりもこちらの「アフタマート」の項目を参照した方がためになります。銃器マニアの間で「アブトマット」ではなく「アフタマート」と書く人が出てきたのはこの人の功績でしょうか。
 ただし、カタカナ転写に対する考え方は僕と異なります。僕なら「アフマート」と表記します。同じ人が書いたのかどうかはわかりませんが「アフタマート・フョードロファ」も僕なら「アフマート・フョードロァ」にします。

表記の揺れが生じる理由

 ロシア語を知っている人なら、こうした表記の違いがなぜ起きるのかわかるでしょうが、ロシア語を知らない人のために説明します。これは主としてロシア語の発音をどこまで忠実に再現するかという考え方の違いから生まれていると考えられます。具体的にはまずカラシニコフから。

 カラシニコフ/ Калашников/ Kalashnikovは有名人だし朝日新聞社が本を出しているくらいなので「カラシニコフ」という表記は定まっていますが、そうした中で「カラーシニコフ」、「カラーシュニコフ」、「カラーシニカフ」、また、あり得る表記としての「カラーシュニカフ」という表記がなぜ生まれるか解説してみましょう。
 ロシア語には英語のshit、sheetのように短母音・長母音の区別はありませんがアクセントのある母音は強く長く発音されます。そのためアクセントのある部分に長音符を付けることがあります。長音符を付けるのはマストではないのでロシア大統領のプーチンサンクトペテルブルクで働いていた頃や連邦保安庁長官になる頃まではプチンでした。その後、首相、大統領代行に出世する頃から名前もプーチンに出世しました。ということでカラシニコフ/ Калашников/ Kalashnikovは2番目の"a"にアクセントがあるので「カラー・・・」になります。ロシア文字で5番目の文字"ш"、ローマ字で5番目と6番目の"sh"を「シ」にしたり「シュ」にしたりするのは窓枠のsashが「サッシ」になったり「サッシュ」になったりするのと同じです。「・・・ニコフ」か「・・・ニカフ」かはアクセントのない"o"が"ə"(IPA記号です。カナではア列のカナで表現せざるを得ません)になることを再現するかしないかの違いです。発音の再現性の順に並べれば、
カラシニコフ → カラーシニコフ → カラーシニカフ、又は
カラシュニコフ → カラーシュニコフ → カラーシュニカフ
になって右の方が再現性が高くなります。「シ」と「シュ」のどちらが"ш/sh"に近いとするかは個人の感覚でしょう。
 автомат/avtomatも同様で、最後の"a"にアクセントがあるので「・・マート」になり、3番目の"o"にアクセントが来ないために"ɐ"(カナではア列のカナで表現せざるを得ません)になることを表現するかしないかで、アフマートになるかアフマートになるかの違いが起きます。

 冒頭にあげた銃器設計者のうち「×デグチャレフ/ Дегтярёв/ Degtyarev」の解説です。ロシア語を知っている人なら「デクチャリョフ」で決まりだろうというかもしれませんがそうでもありません。エカテリーナが「エカチェリーナ」や「イェカチェリーナ」になる例がありますから油断できません。

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Wikipediaの「デグチャレフPTRD1941」の記事のプリントスクリーン
Degtyarev、Degtyarevaの表記がカオス状態

 ここでは1行目は銃器マニア的に「デグチャレフ」になっていますが3行目は僕としては「ここまでするか」とびっくりした「ヂクチリョーヴァ」という表記です。一方、4行目と5行目はおとなし目の「デクチャリョーフ」です。
 Дегтярёва/ Degtyarevaが「ヂクチリョーヴァ」(主格になれば「ヂクチリョーフ」)になる理由は"Де-/De-"と"-тя-/-tya-"にアクセントがないためそれぞれ"dʲɪ-"と"-tʲɪ-"、になるから「ヂ」と「チ」と書いたのでしょう*5。3番目の文字"-г-/-g-"は無声子音の前だから"k"と無声化し、最後の"-ё-/-e-"はアクセントがあるので「・・・リョーヴァ」になるという理屈でしょう。ここまで発音の再現を追求した表記は珍しいと思います。発音の再現性の順に並べれば、
デクチャリョフ → デクチャリョーフ → ヂクチリョーフですね。
 「デグチャレフPTRD1941」の記事があまりにもカオスなのでこれまで2021年10月15日にこれまで編集に参加してきた方々の考えを尊重しつつ、交通整理の形でWikipediaの記事を編集しました。現在はプリントスクリーンのようにはなっていません。
 「×フェドロフ」(英語読み)でも「フョードロフ」、「フョードロヴァ」だけでなく「フョーダラフ」、「フョーダラヴァ」という表記がありました。

どこまで再現すべきか、個人的意見

 IPA記号を確認すれば究極までロシア語の発音に近づけることができます。ロシアのВикисловарьという辞書サービスを提供するサイトではこんな具合に調べることができます。

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ВикисловарьのサービスでЕкатеринаを検索した結果
右下の赤線にIPA記号が表示されている。無料です。

 僕が好きな「エカテリーナ」を調べてみます。ロシア文字で「Екатерина」を検索窓に入力して検索し、スクロールするとIPA(ロシア語ではМФА)記号がわかります。エカテリーナ/Екатенина/ Yekaterina*6は[ɪkətʲɪˈrʲinə]になっています。「エカチェリーナ」や「イェカチェリーナ」ではまだ生ぬるくて「イカチリーナ」にしなければなりません。
 確かに「イカチリーナ」と発音してみると「エカテリーナ」よりロシア語っぽく聞こえます。でも、「Екатенина/ Yekaterina」を「イカチリーナ」と書いてしまうと、僕としては洗濯機を「せんたっき」、北極海を「ほっきょっかい」、体育館を「たいっかん」と書くような違和感があります。そーゆー感じはしませんか?

 では、どこまで発音を再現すべきでしょうか。「デクチャリョフ」で我慢するか「ヂクチリョーフ」(実際には「ジクチリョーフ」としか発音できない)まで突き詰めるかです。ここから僕の考えを述べます。
 初級の語学教科書にあるような発音を表すためのカタカナ表記に意味があることは認めつつも、僕としてはIPAまで調べてカタカナ表記をする必要はない思います。理由は次のとおりです。
 第一に、そもそもカタカナでは原語の発音を再現するには無理があるからです。RとLの区別ができない、母音の付かない子音は表現できない、母音は5種類しか表現できない、という具合で原語の発音に近づけることはできても限界があるからこだわってもしかたがありません。
 第二に、あまりに発音に拘泥すると原語の綴りを再現できなくなります。イカチリーナやヂクチリョーフという表記からは元の綴りを想像できません。
 第三に、第二の問題とも関連しますがよく使われるローマ字で転写された表記との整合も取れないことも挙げられます。ロシア語のローマ字転写はたいていの言語で発音の再現を考慮しつつも綴りの再現を重視しているからです。デクチャリョーフ、Degtyarev(英語式)、Degtjarjow(ドイツ語式)とДегтярёвの関連は想像できてもヂクチリョーフからДегтярёвを創造するのは無理でしょうね。
 ということで僕は発音の再現に留意しつつもロシア文字を機械的にカタカナに翻字することにしています。「エカテリーナ」程度にして「エカチェリーナ」、「イェカチェリーナ」、「イカチリーナ」にはしないということです。この記事に出てきた言葉に当てはめれば、
Калашников, Калашникова → カラシニコフ、カラシニコヴァ
автомат → アフトマート
пулемёт → プレミョート
Дегтярёв, Дегтярёва → デクチャリョフ、デクチャリョヴァ
Фёдоров, Фёдрова → フョードロフ、フョードロヴァ
という具合になります。
 長音符はよほどおかしくならない限り使いません(ここは個人の感覚であって突っ込みどころです)。アフトマト、プレミョトでは抵抗があるのでアフトマート、プレミョートにします。短い言葉は長音符を付けた方が耳になじみますが長い言葉なら長音符はあまりつけなくても大丈夫のような気がします。プーチンレーニンに対してエリツィンゴルバチョフという具合です。
 アクセントの位置による母音の変化も反映しません*7。これはローマ字表記では母音の発音の変化を反映することがまずないため、それとの整合を取りたいというのが理由です。
 僕の記事ではこの調子でロシア語をカタカナ表記します。でも、「アフタマート」が広く通用するようになれば、хорошо/ khorhshoが「ホロショー」ではなく「ハラショー」になるのにならって「アフトマート」から「アフタマート」に変えるかもしれません。

 このやり方がロシア語の正しい発音を目指す人の賛同を得られないことは重々承知です。僕としてもロシア語として読むときはロシア語らしく読みます(読むように努めています)。憲兵/miitary policeを意味する「Военная полиция/ Voyennaya politsiya」を僕流のカタカナ転写の「ヴォエンナヤ・ポリーツィヤ」と読んだら通じないことはなくても「綴り字発音」になりますから「ヴァイェーナヤ・パリーツィヤ」くらいに読まなければならないでしょう。

最後に

 銃器マニアの間で「アフタマート」という書き方が広まっていることに言及しました。僕の想像ですが、Wikipediaの「アサルトライフル」の記事の「アフタマート」の項目を執筆した方の影響ではないでしょうか。こうした方々の努力により「×フェドロフ」が「フョードロフ」に、「×デグチャレフ」が「デクチャリョフ」(ゴルバチョーフじゃないんだからデクチャリョーフにしない方がいいと思います。)に変わっていくことに期待したいと思います。「ネッスル」が「ネスレ」になったように。

 

*1:ロシア語のローマ字転写は言語ごとに様々ですが、英語の場合、発音はほぼ無視してロシア文字を1文字ずつ機械的にローマ字に翻字するのでこうなります。ドイツ語だとある程度発音を再現して例えばавтомат ФёдроваならAwtomat Fjodorowaという風に書くことがありますからある程度ロシア語の発音に近くなります。

*2:長らくロシアの国連大使だったチュルキン/Чуркин/Churkinを「チャーキン」と書いた人がいましたが日本語の新聞を見せて「チュルキン」だということを納得してもらいました。アメリカ人は「チャーキン」と呼んでいたんでしょうね。

*3:英語に詳しい人から「ゴーバチェフがなぜゴルバチョフになるんだ。綴りから見ておかしいんじゃないか」と言われたことがあります。

*4:пулемёт/ pulemetを「プリミョート」とするのは発音重視の表記です。綴り重視ならプレミョートになります。

*5:もっとも"dʲɪ"の発音を表現するために「ヂ」と書いてもロシア語を知らない日本人なら「ジ」と同じ発音になるでしょう。

*6:ローマ字転写なら"Yekaterina"でしょうが英語表記なら"Catherine"でしょうね。

*7:ハラショー/хорошо/ khorosho、スパシーバ/спасибо/ spasibo、ダモイ/домой/ domoy(シベリア抑留者なら分かる)のように耳から入ったロシア語はしょうがないですね。