週刊朝日の思い出、左翼っぽくない雑誌だったなあ

 週刊朝日が休刊になりました。親の家では朝日新聞を取っていて週刊朝日も買っていました。

 家を出てからも新聞は朝日新聞で雑誌は週刊文春週刊朝日でした。

 週刊朝日ではデキゴトロジーという連載が面白かったですね。

 朝日新聞というと左翼嫌いの人たちからの受けが悪いですね。

 僕自身は偽善者が嫌いなので正義を振りかざす左翼や自分が愛国者の代表のような顔をする右翼が嫌いなのですが、朝日新聞は政治面、社会面、生活面は左翼丸出しでしたが1970年代後半以降の国際面は読売や毎日よりもレベルが高かったと思います。国際面については取材力がないのか産経なんかはでたらめでした。産経は統一教会世界日報並みで信用できませんでした。

 全般的に左翼チックな朝日新聞の中で週刊朝日はそれほど左翼に毒されていなかったようです。朝日新聞社は「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」で有名なほぼ新左翼朝日ジャーナルも出していました。毎日新聞でも出していた経済誌の「エコノミスト」も左翼でしたね。系列の会社内ですみわけができていたのでしょうか。

 さて、週刊朝日では広島県反日の丸・君が代闘争を批判するキャンペーンをやっていたことがありました。応援じゃなくて批判ですよ。1980年代、広島県の高校の校長が日の丸・君が代問題で自殺した時期より前だったと思います。

 当時は「朝日新聞内の反左翼系の記者たちのガス抜きにしているのかな」と思いましたがシリーズは完結せずに立ち消えになりました。社の主流の方針とは相容れなかったのでしょうか。

 同じ会社でもいろんな記者がいるということでしょう。これが週刊朝日の思い出での一つでした。

 朝日新聞でも記者の署名記事が出ることがありますが、あまりに左翼っぽい記者が書く記事が政治面から社会面、最後には文化面に移ったことがあった記憶があります。「やりすぎで移されたな」と思いましたが考えすぎでしょうか。テレビ・ラジオ欄で黛敏郎の「題名のない音楽会」の国粋主義的な回を批判している記者もいましたが、こういう記者は本当は論説室あたりで活躍したかったんでしょうね。